東京高等裁判所 昭和35年(行ナ)21号 判決 1960年8月03日
原告 日本国有鉄道 外一名
被告 高等海難審判庁長官
主文
原告等の訴を却下する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
原告等訴訟代理人は、高等海難審判庁が同庁昭和三十一年第二審第四号、第五号、第六号、汽船十勝丸、同日高丸、同北見丸各遭難事件につき昭和三十五年三月十五日言渡した裁決はこれを取消す、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、被告訴訟代理人は原告等の訴を却下する、訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求めた。
原告等訴訟代理人の事実上及び法律上の陳述は、別紙訴状請求原因の項及び昭和三十五年六月二十九日附原告等の準備書面記載のとおりであり、被告訴訟代理人の答弁は、別紙答弁書中理由の項及び昭和三十五年六月二十九日附被告の準備書面記載のとおりである。
理由
当裁判所は、本件裁決が訴訟の対象たり得べき行政処分に当らないため原告等の本件訴は不適法なものと判断する。その理由は以下のとおりである。
一、訴訟の対象となし得る行政庁の行為の範囲
裁判所法第三条によれば「裁判所は日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判しし、その他法律において特に定める権限を有する」ものであり、ここに「法律上の争訟」とは、法令を適用することによつて判決し得べき権利義務に関する当事者間の具体的な紛争をいう。
すなわち司法裁判は具体的な権利義務の紛争につき法令を適用してその法律関係を明らかにする作用であり、具体的な権利義務その他法律関係の紛争に当らない事件は、特別の規定を以て許されない限り、訴訟の対象とならない。憲法第三十二条は、かような争訟性を有する事項については何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないことを保障したものであり、争訟性のない事項換言すれば本来司法裁判の対象となし得ない事項についてまで裁判を受けさせる権利を認めようとするものではない。具体的な権利義務の紛争を伴わない抽象的な法令の違憲性や学説の当否の争は、仮にこれを法律上の争訟と称して見ても訴訟の対象とはならず、のみならず本来は裁判所法第三条にいう法律上の争訟に当る事項であつても、訴の利益がないときは本案の判決を受けることができないのである。本来訴訟の対象となし得るか否かの点を決めないでおきながら憲法第三十二条、裁判所法第三条を援用し出訴の許否を論ずるのは誤であり、当該事項が本来司法裁判所の裁判を受けるに適する事項であるか否かの点が先ず検討されなければならない。
以上のことは行政庁の行為の違法を主張してその取消を求める訴の許否についても同じようにいえることであつて、その行政庁の行為が具体的な権利義務その他法律関係の変動を伴うものであり、その行為の効力を争うことによつてかような権利変動を争う場合には、そこには法律上の紛争が存在するから右行政庁の行為の取消を求める訴を提起することができるけれども、行政庁の行為が単なる事実上の行為である場合、(事実上の行為ではあつてもこれによつて直接に権利関係の変動を生ずる結果となる関係上法律上の行為と同視しなければならない場合があるとすればその場合を除く。)或は単なる勧告、事実の通知、意見の表明等に過ぎない場合等これによつて権利変動を生じない場合は、その行為を争うこともまた権利関係の紛争には当らないのであるから、その行為の取消を求める訴訟を提起する余地がない。たとえかような権利変動を生じない行政庁の行為が処分、決定、裁決等の形式を以てなされた場合でも、結論を異にするものではなく、これに対し出訴を許す旨の特別の規定がない限り、これが取消の訴を提起することはできない。
これらの行為であつても、それが法律関係を定める前提となる場合には、裁判所はこれを調査し、行為自体の成立不成立や、その行為の法律上の要件の存否を判断することがあるけれども、それは裁判の前提としてなす判断の過程に過ぎないのであつて、裁判所がこのような判断をなすことがあるということから直ちにそれを独立の訴訟の対象となすことができるという結論を引き出すことはできない。
例外として例えば法律関係を証する書面の真否が確認の訴の対象とされ(民事訴訟法第二百二十五条)、条例の制定改廃の請求者の署名に関する決定に対する出訴もできるけれども(地方自治法第七十四条の二第八項)、これらはそれぞれ特別の規定により特に明文を以て許されているから可能なのであつて、このような法令上の根拠がない限り権利変動を生じない行政庁の行為に対しては、その取消を求める訴を提起することができない。
二、高等海難審判庁の裁決に対する出訴についての規定
現行海難審判法によれば、地方海難審判庁の裁決に対しては訴を提起することができないことを規定しているけれども、(第五十三条第四項)高等海難審判庁の裁決に対しては出訴の許否について規定を設けず、そして出訴する場合の裁判管轄、出訴期間、被告適格、執行停止、判決等について規定を設けている(第五十三条ないし第五十六条)。すなわち高等海難審判庁の裁決に対し出訴できる場合のあることは法の当然予想するところであるが、いかなる場合に裁決に対して出訴できるかについては法は沈默しており、出訴の許否に関する一般原則を排除して一般原則によれば出訴できないはずの裁決に対してもなおかつ裁判所に出訴できる趣旨を定めた規定は設けられていないし、海難審判法の規定全体を通覧してもかような趣旨は見出し難い。従つて高等海難審判庁の裁決に対していかなる場合に出訴できるかの問題はこれを一般原則に照して定めなければならない。
三、海難審判の性格と出訴の許否
現行海難審判法は、それ以前の海員懲戒法が海員を懲戒することを目的として立法されたのと異り、審判によつて海難の原因を究明しその発生の防止に寄与しようとする見地から立案されている。すなわち旧海員懲戒法の下では海員の懲戒に必要な限度においてのみ海難の原因が審査され、海員の死亡その他の理由で懲戒の必要がないときは、いかに重大な海難でもこれを審査することがなかつたところ、海難審判法は、右の制度を改め、海難審判の目的を直接に海難の審査に置き、海員の懲戒の要否に関係なく海難の在るところ必ずその原因を明らかにすべきものとしたのである。かくして旧時の海員審判所が海員懲戒機関であつて海員の法律上の責任につき判断をする機能だけを営んでいたのに対し、現在の海難審判庁は海難についての関係者の責任の有無にかかわりなく海難の原因を審査究明する調査機関となり、ただその結果海難が海技従事者又は水先人の職務上の故意又は過失に因つて発生したものであることが判明したときは、更にその者を懲戒しなければならないものとし、その限度において海員懲戒機関としての機能をも併有することとなつたのである。
この懲戒の裁決は、懲戒を受ける者の法律上の地位に不利益な変動を生じさせるものであるから、明らかに訴訟の対象となるべき行政処分であり、訴訟の一般原則に従い当然司法裁判所に出訴することができる性格を有し、それは憲法の保障するところでもある。海難審判法中、裁判管轄、出訴期間、被告適格、執行停止、判決等に関する規定は、正にこの場合に適用を見ることになる。これに反し海難の原因を明らかにするだけの審判(以下、原因裁決という)においては海難の原因を明らかにするため、それが人の故意又は過失に因つて発生したものであるかどうか及び船体若しくは機関の構造、材質若しくは工作又は船舶のぎ装若しくは性能に係る事由に因つて発生したものであるかどうか等の点にわたつて海難の原因を探究すべきことは法第三条の規定するとおりであるけれども、それは関係者の責任追求のためだけのものではなくて海難の原因を明らかにする手段に過ぎないことは右条項その他法全体の趣旨から明らかであり、海難審判庁は、いやしくも海難が発生して審判開始の申立を受けた以上、たとえ海技従事者又は水先人の全員が死亡して懲戒を受くべき者が存在しない場合でも、又利害関係人間に和解が成立しもしくは裁決をまたず不法行為責任等に関する民事判決が言渡されて確定し、もはや関係者間の法律関係を論議する余地のないことが明らかになつた場合でも、なおかつ原因裁決によつて海難の原因を明らかにすべき職責を免かれることができない。このように原因裁決は関係人の法律上の責任を宣言するためのものでないことは明らかであり、従つてそれは訴訟の対象となるべき公法上の法律関係に係るものには該当せず、訴訟の一般原則に照し、かような原因裁決に対しては出訴を認めることができない。
以上の見解は海難審判と司法裁判との本質を考慮した上の結果であつて、行政事件訴訟特例法の解釈の結果ではなく、従つて原告主張のように海難審判法施行の日が行政事件訴訟特例法施行の日より前であるということは、右結論には関係がない。
四、原因裁決による事実上の不利益について
海難が人の故意又は過失に因つて生じたものであることが裁決を以て明らかにされたときは、これによつてその人の債務不履行上、不法行為上の責任を明らかにする上に事実上一歩を進めることにはなるけれども、これらの法律上の責任の存在を是認するためには更に他の法律要件を明らかにすることを要するのであつて、原因裁決によつて直ちに法律上の責任が確認されるものではない。海難が特定の人の故意又は過失によつて生じたものであることが高等海難審判庁の裁決の主文において示された場合には、高等海難審判庁の裁決が一般に権威のあるものとされている以上、これによつてその者が多大の不利益を感ずることにはなるけれども、その不利益は本来事実上の不利益で法律上の不利益には当らない。すなわち裁決における右判断は当然その者に民事上その他法律上の責任を生じさせるものではない。その者が右過失を理由として他から損害賠償の請求を受けた場合にも、その請求を排除するための一切の手段は右裁決によつてすこしも妨げられるものではない。原因裁決を援用してかような請求権の存在を主張する者に対しては、単に請求を拒否するのみならず進んで原因裁決の不当を主張し積極的に債務不存在確認の訴を提起して過失の存否につき司法裁判所の判断を求めることもできる。損害賠償の請求が裁判上なされた場合にも裁決において過失ありとされた者は無過失を主張し被告として一切の防禦手段を尽すことができるのであり、裁判所が過失の有無を判定するには裁決の主文にも理由にも拘束されることなく、故意、過失の構成要件の個々について自ら検討を加えて独自の見地から真実を認定し法律上の判断を下すものであり、裁判所が事実の調査を省略し裁決の内容を検討することなくその結論だけをそのまま採用して過失を認定するようなことは考えられない。原因裁決は、訴訟における当事者の立証責任の所在にすら変動を生じさせることがない。
海難原因の探究には専門的技術的知識を必要とすることが多いため、その審理についての専門家を以て構成された海難審判庁の裁決が、客観的事実における因果関係の究明につき権威あるものとして一般に尊重されることは否定し難いけれども、それすら裁判所の判断を拘束するものではなく、まして確定した事実関係の上に立つて人の故意過失の有無や、施設管理の瑕疵が民事刑事の責任を生じさせる程度に達しているか否か等を判定することは、法律上の判断であつて、司法裁判所が法全体の価値体係に従い衡平に判断すべき事項であり、海難審判庁の原因裁決は、なんらこの点を確定するものではない。
このように人の故意過失を肯定した原因裁決も、その人に事実上の不利益を及ぼすことはあつてもその法律上の地位にはなんら影響するところがない。事実上の不利益はそれがいかに大であつても、他に特段の事由がない限り、それが大であるといううことから直ちに法律上の不利益に転化するものではない。
以上のように原因裁決が人の権利義務その他法律関係に変動を及ぼすものと解せられない以上、右は取消訴訟の対象となるべき行政処分に該当しないものというべきである。
五、「過失が法律上の概念である」との主張について
人の過失を判定することは法律的判断を伴うものであり、又過失という概念は法律上使用されているけれども、過失そのものは法律関係の発生変更消滅の要件事実の一であるに過ぎずそれ自体が権利義務その他法律関係を成すものではない。或る人に過失ありや否やが争われているときは、その争は過失に基く具体的法律関係の存否の争の前提問題として争われるのであつて、その具体的法律関係から離れて独立に過失の存否だけを争うことは、もはや権利義務その他法律関係の紛争ということはできないから、司法裁判の対象となる法律上の紛争には当らない。一般の民事訴訟においても、故意過失の存否だけを切離して独立の訴訟の対象とすることは認められないし、係属中の訴訟において故意過失が争となつているときこれを中間判決の対象として裁判をすることも行われていない。これらの点から考えても、過失が法律上の概念であるということから直ちに過失の有無の紛争は司法裁判の対象たる法律上の争訟であるという結論を引き出すことは無理である。
六、審判における争訟手続の構造との関係
海難審判の手続が対審による争訟手続の構造をとつていることは関係法令上明らかであるが、手続が対審争訟の構造をとつているということは審査の正確と能率を期する上においてそれが最も適当であるとされているからである。見解の分れ得る問題について相対する反対意見をそれぞれの者に代表させて互に弁論をなさしめその結果に基いて第三者的立場に立つ者が結論を下すという審査方式は人類社会が考案した優れた手段の一であつて、訴訟手続においても採用されているけれども、それはあくまで審査の方式に過ぎず、この方法によることは訴訟のみに限定されるべき必然性はない。そして海難審判の手続がこの対審争訟の構造をとつているということは、審査手続の慎重なことを示すものではあつても、その裁決に対し司法裁判所に出訴できるか否かの問題とはかかわりがない。
七、以上のとおり海難審判における原因裁決は、権利義務その他法律関係になんらの変動をも及ぼすものでないから、司法裁判の対象たる法律上の争訟に該当せず、解釈上もこれに対する出訴の可能性を肯定する余地なく、又これに対して出訴を許す旨の特別の立法措置もない。なおかような特別の立法措置のとられなかつたことの当否について考えて見ると、原因裁決の本質が以上に述べたとおりである以上、仮にこれに対し司法裁判所に出訴を認めることとしても、その訴訟の判決の既判力は原裁決の当否を確定するに止まり、民事刑事の法律上の責任を左右する効力はなく、いかに本案の審理を尽して過失等を肯定又は否定する判決をしても、その過失等に基く法律上の責任を問題とする民事刑事の訴訟においては、更に過失等の有無について改めて審理を重ねなければならないのであつて、原因裁決に対し出訴を認めて裁判所の判決を得ることは、その判決中の故意過失の判断について既判力を認めるような特別の立法措置(かような立法措置の可否はそれ自体甚しく疑問であり、今直ちにこれを可とすることはできない。)を伴わない限り、民事刑事の裁判をなすにつき加えるところなく、徒らに無用の手続を重ね益なきものといえよう。もし海難審判庁の原因裁決の結果自己の過失を肯定されたことを不当とし、その結果第三者より損害賠償等の請求を受ける虞があつて自己の法律上の地位が危殆に瀕していることを主張する者があれば、敢て原因裁決に対する出訴の途をとるまでもなく、直ちに司法裁判所に債務不存在確認の訴を起すのが救済として端的直截であり、かような訴を提起できるほど法律上の地位に危殆を生じていない者については、司法裁判所に救済を求める途がないとしてもあながち不当とはいえない。海難の原因を探究し将来におけるその発生を防止するためには、現行の海難審判法のとつた対審争訟の構造による二審制審査方式は慎重周到であつて、適切に運用される限り充分その使命に堪えるものであり、海難発生の防止という見地から見れば、関係者の権利義務そのものに直接の変動を生じない原因裁決に対して更に司法裁判所に出訴を認めるまでの必要はないものといえるのであり、海難審判法が原因裁決に対して特に出訴の途を設けなかつたことは、その理由があるものと解せられる。
以上の次第で高等海難審判庁の原因裁決に対しては司法裁判所にその取消の訴を提起することができない。本件裁決は、その主文から明らかなように、懲戒を命じたものではなく、本件海難の原因が船長の過失と船体構造及び運航管理が適当でなかつたことによることを主文で宣言した原因裁決に過ぎないから、その取消を求める本件訴は不適法として却下すべきである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 川喜多正時 小沢文雄 位野木益雄)
(別紙)
訴状
(中略)
二、請求の原因
第一、昭和二十九年九月二十六日、北海道函館港において発生した原告日本国有鉄道(以下国鉄と省略する)所有汽船十勝丸、日高丸の各遭難事件につき、高等海難審判庁は、昭和三十五年三月十五日、右各遭難事件は、いずれも各その船長の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものであるが、各船の船体構造及び青函連絡船の運航管理が適当でなかつたこともその一因である旨を主文とする裁決を言渡した。しかして右裁決の趣旨は後述のように右各遭難が、原告国鉄の被傭者である右各船の船長(いずれも本件遭難の際死亡)の職務上の過失に基ずくものであるとすると共に、原告国鉄が青森、函館間のいわゆる青函連絡航路に、運航の実情に照し適当でない船体構造を有する前記各汽船を使用したこと及びその運航管理に欠陥があつたこともその一因をなすものと断じたものであるが、原告国鉄は右各汽船を所有し、各船長を雇傭していたもの者、原告国鉄総裁十河信二は国鉄の代表者として本件遭難事件に関する最終の責任を有し、且本件各遭難事件の指定海難関係人に指定せられた者であるところ、本件裁決は以下にのべるように違法な裁決であり、原告らは右のような法的関係から、本件違法な裁決により重大な不利益を蒙るので、茲にその取消を訴求せんとするものである。
第二、本件裁決が違法である所以については左に各船毎にこれを明らかにする。
一、汽船十勝丸関係。
(一) 本件裁決が、本件海難の原因として船長の職務上の過失ならびびに船体構造の不備及び運航管理上の欠陥につき指摘するところを要約すれば、左のとおりでる。
(イ) 十勝丸船長任堂光一は、同船が青森港より函館に向けて出港した昭和二十九年九月二十六日午後二時二十分当時において、更に又遅くとも同船が焼山沖を通過した午後四時三十五分当時において、気象官署発表の諸警報、情報、その他の外部の諸気象資料と自船の観測する気象資料を綜合すれば、このまま航行を続行するときは、津軽海峡又は函館附近において、相当の異常性を有する台風第十五号の中心附近に遭遇す危険性を予想し得た筈であること、本船が船尾にしや浪設備のない大開口を有し、かつ車輌甲板にも多数の開口があつて防水不十分の特殊構造の船舶であつたこと、貨車三十五輌をとう載していたこと等を勘案すれば、同船長としては、台風による風浪に対し地理的に安全である陸奥湾の外に出ずべきではないことを洞察し、同湾内において待機すべき職務上の注意義務があるにも拘らずこれを欠き函館に向け出航し航行を続けたため、同日午後六時五十分頃函館港防波堤外に仮泊後、風浪による船体の激しい動揺と振れ回りに伴い船尾大開口から車輌甲板に波浪が奔入し、甲板諸開口から機関室、缶室等に多量の海水が浸入し、諸機関の運転不能となり操船の自由を失い排水能力が極度に低下して復原力を弱め、更に車輌甲板舷側外板の換気口からも浸水し復原力を喪失して同日午後十一時四十二分頃ついに横転沈没するに至つたもので、この経果は、前記船長の運航に関する職務上の過失に基因するものである。
(ロ) 次に、前記のような本船の特殊な構造は、青函航路の運航の実情からみて適当なものではなく、過去において本船と同様な構造の船の車輌甲板上に波浪が奔入するような気象海象に遭遇した経験もあつたのであるから、本船のような構造の船舶を本航路に使用したことが本件遭難の原因の一をなすものであり、又一方、連絡船の運航管理に当る原告国鉄、直接には当時の青函鉄道管理局(以下青函局と略称する)において、本航路が一定のダイヤを極力維持するという特殊な輸送態勢下に、特殊な構造の船舶を使用している等その運航の実態を把握し、本件台風の来襲に当つてはこれらの事情に応じてその安全運航に必要な措置をとるべきであつたにも拘わらず、その認識を欠き、船舶の安全運航はすべて船長に委ねれば足るものとし、本件の場合において本船々長に対し函館港堤内への転錨避泊を勧奨するとか、その他船長に対し何らかの協力援助を行うべきにその挙に出でなかつたのであつて、かような国鉄管理部門の運航管理上の欠陥も亦本件遭難の一因をなすものである。
(二) 原告らが、右裁決を違法とする理由の概略は左のとおりである。
(イ) 前記船長の判断について。
この点に関する裁決の前記判断は一言にしていえば任堂船長が、台風の中心に向つて航行する措置に出ることなく青森か陸奥湾内で待機し、台風の通過をまつて出航すれば本件海難は惹起されなかつたものであるから、船長の出航判断が誤りであり、出航そのものが海難の原因であるというに帰するのであるが、一読すればこの見解は、結局十勝丸が現場に居合わせたことが海難原因であるという極めて通俗的な結果論、条件説に等しいものであるようにも考えられる。しかしそれでは全く無意味であり、児戯にひとしいもので何ら海難の原因を解明したことにならないことは何人の眼にも明らかであるから、本件裁決を論理上有意義に解しようとすれば、それは任堂船長が青森を出港した前記昭和二十九年九月二十六日午後二時二十分又は遅くとも焼山沖を通過した午後四時三十五分において、気象状況に加うるに船体構造、積載車輌、地理的条件等をも考慮した上で、船長としての業務上の注意義務を怠ることがなかつたならば、函館到着後遭難に至るまでの異常な天災を予見し又は少くともそれに匹敵する十分な危険性を予想し得た筈であるという前提に立つものとしなければなるまい。しかるに本件裁決に挙示する証拠その他いかなる資料によつてもこのような論断を可能ならしめるものは存在しない。却つて同船長がそのような天災乃至危険に遭遇することは万々あり得ないと判断したのは、業務上の判断として誠に当然であつて、函館における事態は全く台風十五号の異常性のなせるわざに外ならず、人智のよく予想しえないところであつたことを明らかにする資料は数多く存在するのである。本件裁決は、これらの資料、たとえば前記焼山沖通過時までに同船長の入手し得たるべき諸気象資料として、台風十五号の進行速度が一時間百十粁(青函航路の距離に等しい)であり、非常に速いと報じた船舶通報とか、同日午後四時すぎ青森県が台風の中心を過ぎたとする青森測候所の発表とかを全く顧慮せず、又、気象関係専門家数名の同夜の函館における異例な台風の停滞とこれに基ずく南西風の強連吹を全く予想することができなかつたとする陳述や、当時函館に居合わせた他船の船長数名の右と同趣旨に帰する陳述等をも全く無視しているのであつて、本件裁決が証拠の取拾に関する判断を誤まり、証拠なくして事実を認定する違法を犯し、その結果として結論を左右する重大な事実誤認に陥つたものであることは明らかである。
このように同船長が、航行を継続するも函館港において本件のような事態に遭遇するものとは全く予想せず、台風通過後無事に同港に入港しうるものと判断したのは誠に当然であるが、更に本件裁決でいう船体構造の特殊性に関しても何ら同船長の判断認識に責むべき点ありとすることはできない。本件裁決は、車輌甲板後部で海水をすくい上げ、その水が同甲板上に多量に滞留すればそれが復原力喪失の原因になるものといい、同船長がかかる事態の発生を当然予想すべきものであつたとするものの如くである。しかし、このような事態の予見が可能であつたとする証拠は全くなく、却つて学者、造船技術者、船長等の、従来このような事態の経験もなく、又、何人もこれを予想しえなかつた旨の陳述等これを否定する資料は一、二に止まらないのである。本件裁決は前記のように過去において車輌甲板上に波浪が奔入したことがあるという事実をもつてその判断資料としているが、それは本件の場合のように船を風向に立てて錨泊中、船尾が動揺によつて海水をすくい上げ、それが甲板上に滞留するような事態とは全く異なり、航行している船が、強風中回頭の際、船尾を風浪にさらした時、海水が浸入した場合の経験であつて、錨泊中に海水をすくいあげ、かつ、滞留するという事態は全くなかつたのであるから、これをもつて船長の認識欠如の資料とするのが当らないこと多言を須いるまでもない。
(ロ) 前記船体構造ならびに運航管理について。
本件裁決が認定する船体構造の不適当という点についても、右にのべたように本件のような事態の発生が、従来の経験や理論では到底想像することもできない異常なものであつたことからいつても、このような構造の本船を本件航路に運航したことをもつて非難に値いするものとはなし得ない。前述のように古く強風中回頭せんとした際海水の浸入を見た事例はあるが、船を風向に立てゝ錨泊中、船尾で海水を多量にすくい上げ、且つその海水が甲板上に滞留するというような現象は連絡船の運航を開始以来一度も起つたことはなく、何人にも夢想もなしえない異常事態であつたことを物語る資料は枚挙にいとまがないから、このような構造を有する本船を運航したからといつて結果論をもつて国鉄管理部門を非難することの当らないこと謂うまでもない。
次に本件裁決が、運航管理が不適当であつたとして指摘する点についていえば、青函局において、本船に対する何らの協力援助をも行わなかつたとする本件裁決の認定は、全く証拠に基ずかない独断である。却つて証拠によれば当時青函局においては、各船の無線部全員を当直配置につかせ、これに対し各種の気象情報を通報し、かつ、各船が他船の動向等を相互に傍受し得るよう万全の態勢を敷いていたものであることが明白である。本件裁決は、船長に対し、青函局が堤内への転錨を勧奨しなかつたことを論難するが、こと航海に関しては一切を船長に委ねることが、航行安全のため最善の方策であり、外部からの介入は却つて有害無益であるとするのが船員法の趣旨でもあることは疑いなく、従つて青函局が船長の航海判断に介入するよう何らの行動をも敢てとらなかつたことは誠に当然であつたと謂わなければならない。本件裁決が船長の過失を論ずるに当つては、本船を堤外に仮泊させ、堤内に入らなかつたことに対し同船長の責任を問うことを敢てしないに拘らず、青函局が堤内転錨を同船長に勧奨しなかつたことをもつて本件海難の一因とするのは首尾一貫を欠きその真意を了解するに苦しまざるを得ないのである。
(ハ) 以上を要するに本件裁決は採証の法則に違背し、その結果として事実を誤認し、且つ海難の原因の探究に当り、過失概念の適用を誤まり通俗的な結果論に陥り、とうてい本件遭難の結果に対し、因果関係の認め難い事実をもつて原因なりとする法理上の誤りを犯しているものであつて、その違法な裁決であることは誠に明らかである。
二、汽船日高丸関係。
(一) 本件裁決は概略左のような事実を認定して、船長の職務上の過失ならびに船体構造及び運航管理の欠陥と断定する。
(イ) 本船の姫野長吉船長は前記昭和二十九年九月二十六日午後四時三十三分から函館港防波堤内に錨泊していた同船に午後五時頃交替乗船したが、午後七時三十分頃から風力は益々増大し、午後八時頃より午後九時頃には風速二十五乃至三十米に達し、十勝丸と同様の構造を有し且つ貨車を積載している同船としては安全な錨地として風向その他地理的関係から同港防波堤内を選ぶのが当然であり、且つ堤内において操船する余地が十分であつて、堤外に進航することは遭難の危険大であると判断すべき職務大の注意義務があるに拘わらずこれを欠き、堤外に転錨避泊することを決意し、午後九時十五分頃から揚錨に着手し同四十五分揚錨を終え、同十時少し過ぎ堤外に出たため強風にさらされ船体の動揺と振れ回りに伴い船尾開口部から車輌甲板に波浪が奔入し、同甲板の諸開口から機関室等に浸水、前記十勝丸とほゞ同様の経過を辿つて同十一時四十三分頃転覆沈没するに至つたもので、この結果は前記姫野船長の堤外への転錨という職務上の過失に基因するものである。
(ロ) 本船が特殊な構造を有する船舶であり、本件航路において使用するに不適当なものであることにつき国鉄の認識が十分でなかつたこと、ならびに国鉄の管理部門において、防波堤外への転錨が危険であることを同船長に通報する等これ協力援助を行わなかつた、運航管理上の欠陥も本件海難の一因である(この点は、十勝丸で前述したところとほゞ同一である)。
(二) 右の裁決を違法とする原告らの主張の概要は左のとおりである。
(イ) 前記船長の転錨の判断について。
この点に関する本件裁決の認定は甚だ当を得ない独断である。同船長の堤外への転錨行為が同船長の過失と認むべきであるか否かは防波堤の状況、堤内における南西の強風に対する安全な錨地と目される水面の広狭と、これに対する船舶の収容能力、他船の錨泊状況、堤内における他船や桟橋等の障害物との衝突、接触の危険の有無、堤内錨地の場所的条件による操船の難易等堤内の危険性と、堤外において台風が何時通過し終るか、風向が変化し西風となつて堤外が安全となるのは何時か等堤外における危険性との彼此考量の上に判定せらるべきものであるに拘わらず、本件裁決がこれらの事情を全く顧慮せず、堤内が常に堤外より安全であるとの独断の上に、すでに錨泊していた数隻の他船との距離が二〇〇米乃至六五〇米を存したというだけで本船が堤内に止まつても操船に支障がないという結論を引出し、船長の転錨を過失であると断ずるの早計であることは多言を要しない。本件審判にあらわれた多数の証拠資料によれば、当時の函館港における防波堤が強風に対し完全でなく没水する虞れのあつたものであること、台風中心の函館地方における異常な停滞やこれに基ずく南西強風の連吹が何人にも予想し難かつた状況であつたこと、堤内においては、同日午後四時頃から船長外乗務員僅かに七名のみが残留するのみで全く操船の自由を有しない七千余トンのアーネスト号が走錨し堤内を縦横にあばれ廻り何時衝突されるや全くはかり難い状態にあり本船を含む堤内の各船共危険極まりない状態であつたばかりでなく、第十二青函丸、第六青函丸、大雪丸その他も亦走錨しつつその危険を避けて走り廻り、本船との衝突を間一髪の間に危く避け逃れ得たことさえあり、本船自身も亦走錨して有川埠頭に激突する危険も必至の状態であつたこと、台風吹きすぶ暗夜殆んど視野のない状態の下に、これら他船その他の障害物を巧みにかわして狭い堤内で操船し、安全を保つことは至難な実情であつたこと、堤内函館山寄りの南西風に対し防波堤によりしや敬された比較的に安全な錨泊地にはすでに数隻の他船が収容能力一杯に避難錨泊し、本船が割込む余地が全くなかつたこと、等の事情が極めて明白であり、本船の転錨が何人が船長となつても、眼前の危険を避けるため全く已むを得なかつた緊急避難的唯一の措置であつたことが十分に納得されるばかりでなく、前記転錨時までに堤外にあつた洞爺丸、大雪丸、第十二青函丸等から発した電報も異状なき旨を伝えていたことが資料により明らかで、これらの電報はすべて傍受によるので、同船長が右のような堤内外における現状を彼此検討して堤外を比軽的に安全であると判断し転錨を決意したことは誠に当然であるといわなければならない。なお右転錨時迄に同船長が入手したと認められる最新の船泊通報に関する資料によれば、暴風圏の縮少、台風勢力の減少が伝えられたことが明らかであり、従つて同船長が堤外においても遠からず風向が西に移り危険が去るものと判断したことはこの点からいつても亦当然である。
(ロ) 前記船体構造ならびに運航管理について。
この点については十勝丸について前述したところとほゞ同一の理由により、本件裁決のいうところは明らかに失当である。
(ハ) このように日高丸についても本件裁決は恣意的な採証により事実を誤認し、これに基ずいて船長や国鉄管理部門を非難するものであつて誠に違法である。
三、汽船北見丸関係。
(一) 本件裁決が船長の職務上の過失ならびに船体構造の不備及び運航管理上の欠陥として指摘するところの概略は左のとおりである。
(イ) 同船々長辻垣正秋は、前記昭和二十九年九月二十六日午後三時十七分、避難の目的で貨車四十六輌をとう載したまゝ函館港有川桟橋を離岸し、同三十分防波堤外に投錨したのであるが、同船の十勝丸同様の特殊構造、積荷等の状況を考慮すればその後の気象状況に注意を怠らず函館が台風の右半円に入る兆候を認めたならば、時機を失せず前記のように南風に対し安全な堤内に転錨すべきであつたところ、同五時半頃には風向が右に廻り風力が増大し、台風の中心が函館西方を通過することが明らかとなり、且つ当時堤内に錨泊の余地はあつたのであるからその時機をとらえて堤内に転錨を決意すべき職務上の注意義務があるに拘らずその判断を誤り堤外において錨泊をつずけたため、前記十勝丸、日高丸同様船尾開口部より浸水し、ほゞ同様の経過を辿つて午後十時三十分過ぎ転覆沈没したものである。
(ロ) 本船の船体構造が本件航路運航の実情からみて不適当であり、且つ、国鉄管理部門の船長に対する協力援助に欠陥があつたことが本件海難の一因であつた(この点は前記十勝丸、日高丸についてのべたところとほぼ軌を一にしている)。
(二) しかしながら右裁決は大要左の理由によつて違法であるといわなければならない。
(イ) 前記船長の転錨に関する判断について。
先づ本件裁決が、同日午後五時三十分頃の現地における風向の変化風速の増大から、船長として転錨の時機であると判断すべきであつたとする点であるが、本件審判廷にあらわれた外数の気象専門家、函館在泊他船の船長等の供述や、台風情報等の気象資料によつて、同日午後五時頃一時晴間がみえ何人も台風の中心が上空を通過したものであつて遅くとも午後七、八時頃には西風に変わり、堤外の風浪もおさまるものと考えられたこと、右午後五、六時頃迄に船長の入手しえたと思われるいかなる資料によつても本台風の甚だしい異常性(函館附近における異常な気圧示後の下降、並びに速度の低下と、これに伴う長時間に亘る南西強風の連吹)を予知し得たものは一人もなかつたことが明らかであるに拘わらず、本件裁決は何ら納得しうる根拠を示すことなく辻垣船長としても同夜遅くの南西風の強連吹を予想し、これに対して安全な堤内への転錨を行うべきであつたと断定するのは甚だしい独断といわざるをえない。次に船長が堤内の方が当時の現況に即して堤外よりも錨泊地として安全であると判断すべきであつたとする本件裁決の判断も亦右に劣らず根拠のない独断である。日高丸の項においてすでにのべたように、堤外、堤内いずれがより安全であるかを判断するに当り、船長としては、前記のような諸気象資料による台風の推移に関する見透しの外、堤内における適当な錨泊地の広狭、収容能力、既泊船舶の数と錨泊状況、走錨船や岸壁その他の障害物との衝突、接触の可能性、暗夜における操船の自由の程度、自船の走錨の場合の措置の可能性等数多くの事項を彼此綜合して比較判断することを要するものといわなければならないのであつて、裁決のいうように、防波堤が堤外より安全であると即断したり、特段の根拠も示さず堤内の操船も可能であつたと断定することの誤りであること多言を要しない。実際当時函館港においては前記のように多数の大型船舶が堤内におり、これに小型船舶をも加えれば錨泊適地はすでに満員の状況であつたこと、前記アーネスト号が午後四時頃から走錨をはじめたこと、函館港防波堤は不完全で、強風には没水してしまう状態であつたこと等証拠上明らかな堤内の実情と前記遅くとも八時頃には風向が西に転移するものと何人も予想すべき気象状況であつたことを綜合すれば、辻垣船長が操船の自由の確保できる、西風に対し安全な堤外を、一時の避泊場所に選んだことは何ら異とするに足りない当然の判断であつたといわなければならない。なお、本船の特殊な構造についての同船長の認識ならびにこの点についても同船長を責むべき点のないこところ同様である。
(ロ) 船体構造、運航管理について。
この点に関する本件裁決の誤りについては先に十勝丸、日高丸についてのべたところとほぼ同様である。
(ハ) 以上のように本船についても裁決は恣な採証を行い、証拠に基ずかない判断をも交えて全く事実を誤認し、過失の認定を誤つたものであつたものであつて違法な裁決という外はない。
以上原告らが、本件裁決を違法とする大要を述べたのであるが、その要点は、本件各海難が、何人にも予想し難い台風第十五号の異常性により招来された不可抗の事態に基因するものであること明らかであるに拘わらず、本件裁決がこれを強いて船長や原告国鉄の過失怠慢に帰せしめようとする結果、採証の法則を無視し、事実を誤認し、因果関係や過失に関する法原理の適用をあやまつたものであつて、不当に原告らの法律上の利益を侵害するものであることを主張せんとするものである。
なお、裁決の違法に関する原告らの主張は、裁決の各項目に亘りその詳細をつくせば右にのべるところの外極めて多いのであるが、その開陳は追つて準備書面をもつて補充する。
(別紙)
答弁書
(中略)
理由
本訴は、被告が昭和三十一年第二審第四号、第五号、第六号汽船十勝丸、同日高丸、同北見丸各遭難事件につき、昭和三十五年三月十五日言い渡した裁決の取消を求めるものであるが、右裁決は行政事件訴訟特例法(以下特例法という)にいわゆる行政庁の処分ではないから、その取消を訴求する本訴は不適法である。
一、特例法にいわゆる行政庁の処分とは、公権力の主体としての国庫又は公共団体の機関である行政庁がその権力に服従すべき者に対して行う公法上の行為であつて、これによつてその権利義務に法律上の効果を及ぼすものという。ところで海難審判法(以下単に法という。)は、海難発生防止のため現に発生した海難につきその原因を明らかにすることを主たる目的とし、なおその結果海難の原因を作つたと認められる一定の者(受審人)がある場合にはその者を懲戒し、また海難の原因に関係があり勧告の必要があると認められる受審人以外の者(指定海難関係人)がある場合にはその者に勧告をすること従たる目的としており(法第一条、第四条参照)、海難審判庁が法の規定にもとづいてする裁決には、右にいう行政庁の処分に該当するものと、これに該当しないものとがあることに注目しなければならない。即ち海難審判庁のなす裁決には次の数個の場合がある。
(イ) 本案前の裁決(法第四一条参照)
(ロ) 海難の事実が無かつたと認める裁決(法第四三条参照)
(ハ) 海難の事実を認めるが懲戒処分をしない裁決
(ニ) 海難の事実を認め、懲戒処分をする裁決
(ホ) 海難の事実を認め、勧告をする旨の裁決
右の(ハ)は、海難原因について取調を行いその結論を明らかにする法第四条第一項による裁決(以下原因解明裁決と称する。)(ニ)は海技従事者又は水先人、即ち受審人(法第三四号参照)に対し法第四条第二項及び第五条により懲戒処分を行う裁決(以下懲戒裁決と称する。)(ホ)は海技従事者又は水先人以外の者で海難に関係あるもの、即ち指定海難関係人法施行規則第二七条参照)に対して法第四条第三項により勧告する旨の裁決であつて、そのうち(ニ)の懲戒裁決があつたときは、その受審人に対しては、その者の権利義務につき法律効果を及ぼすことになるから、この裁決は特例法にいわゆる行政庁の処分に該当するものであるが、(ホ)の勧告裁決は、文字通り勧告裁決であつて、命令的要素を含むものではなく、法第六十三条が勧告を受けた者は勧告を尊重し、努めてその趣旨に従い必要な措置を執るべき旨を定めているとはいえ、それは単に訓示的なものであつ、何等法的拘束を伴うものではないし、また(ハ)の原因解明裁決は、海難原因取調の結果即ち海難の事実の認定又は発生原因に対する意見の公表にとどまり、その意見ないし認定は単に将来の海難防止という公益的な目的から、警告的な意味において公表されるに過ぎないものであつて、何等の法的拘束力を有するものではないから、これらの裁決はいずれも特例法による取消の訴の対象となる行政処分には当らないのである。
二、本件裁決は(ハ)の原因解明裁決である。原告等はこれによつて原告等の権利義務に法律上の効果を及ぼすものであるとの前堤に立つて本訴を提起されているようであるが、しかし、高等海難審判庁のしたこの場合の裁決は、法の目的である船舶の安全、海難防止という公益的見地からなされるものであつて、海難関係者の民事上あるいは刑事上の責任追求の見地から行われるものではない。海難審判庁が海難審判において、その原因を明らかにする際必ず考慮しなければならぬ最少限の事項は、法第三条に列挙せられているが、その事項は「人の故意又は過失に因つて発生したものであるかどうか。」に限られないのであつて、その他についてもそれが海難原因をなすものかどうかを探究しなければならないものとされており、また、海難原因の探究について考慮することができる事項は法第三条に列挙された事項に限られないのである。それは専ら海難防止の見地から一切の事情を考慮してなされるものであつて、海難関係者の責任追究の見地から行われるものではない。原因解明裁決において人の過失を判断する場合も、それは主として海難防止の見地から海技術や造船技術の水準に徴して、関係者の能力技術に欠陥があるかどうか、関係者の行為が妥当かどうか、それ等が将来の海難防止のため好ましからぬものであるかどうかが調査判定されるのであつて、関係者の行為に対し法律的価値判断を下しまたは法律的責任を問うためになされるものではないから、その判断は、何等民事又は刑事上の法律効果を伴うものではない。従つて海難審判庁が海難事件を審理した結果同条各号に掲げる事項その他の事項についてそれらが海難発生の原因をなしたとの結論に達したときは、裁決においてその旨を明らかにするのが当然のことであり、その認定はあくまで海難の発生原因に対する海難防止上の法目的達成のための海難審判庁の事実判断ないし意見の公表であり、その認定ないし意見は、裁決が確定した場合に重ねて同一事件につき審判ができないという審判手続上の効果があるほか何人に対しても法律効果を及ぼすことはない。
三、法第四十六条は地方海難審判庁の裁決に対して高等海難審判庁に第二審の請求をすることのできる者は、理事官以外は受審人及びその選任した補佐人に限つており、第一審の勧告裁決や原因解明裁決について、事実上の利害関係を有する指定海難関係人や第三者であつても、これに固有の第二審請求権を認めず、しかも法第五十三条第四項が第一審の裁決に対する訴は許されないとしており、又勧告裁決について、法施行規則第七十七条が勧告を受けた指定海難関係人は裁決言渡の日から一ケ月以内に理事官に弁明書を提出できることとし、理事官はその者の請求によりその弁明書を勧告を告示したと同じ公示方法で公示させ、最後的には、その当否を双方に対する世論の判定に委ねるような措置をとつているが、それは地方海難審判庁の裁決であつても、指定海難関係人の権又は法律上の地位に何等の法的効果を及ぼさない原因解明裁決や勧告裁決に対しては二審請求を認める必要もなく、また直接訴を提起することを認める必要も存しないと考えたためであつて、結局海難審判庁の裁決で訴の対象となるのは第二審で受審人が懲戒裁決を受けた場合にその裁決に限られるのであつて、このことからしても本件のような原因解明裁決は抗告訴訟の対象となる行政処分には当らないというべきである。
要するに本件裁決の取消を訴求する本訴は、特例法にいわゆる行政庁の処分に該当しないものの取消を求めるものであつて、不適法として却下さるべきである。
(別紙)
昭和三十五年六月二十九日附原告等準備書面
一、本件高等海難審判庁の各裁決が、司法裁判所の審査に服すべきものであるかどうかを検討するに当つては、これを憲法上の司法裁判所の地位、権限に基ずいて考察しなければならない。憲法第三二条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」といい、これと表裏する第七六条第二項は「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行うことができない。」と定める。これらの憲法の規定をうけて、裁判所法第三条は裁判所に一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有することを規定している。すなわち、法律上の争訟乃至事件が存する場合にはすべて裁判所による裁判を受けることが認められるのであり、行政機関が、これらの争訟につき「裁判」を行うことは許されるが、それは前審としてのみ認められるのであつて、必ずこれに対する裁判所による審査の途が開かれていなければならないのである。原告らは、後述のように本件各裁決はその形式上からも実質上からも、右に定められた裁判所の裁判を受けることができなければならないものと考える。
被告らは専ら行政事件訴訟特例法を根拠として本件各裁決に対する司法審査を否定しようとせられる。しかし、特例法は、前記裁判権に関する憲法及び裁判所法の実体的規定の主として手続についての特例を定めた法律であることはいうまでもない。従つて、かような手続法の解釈のみから論ぜられるのは、いささか本末顧倒の論たるそしりを免れないであろう。もし前記の実体法規に照し、裁判権を肯定すべき場合であるのに、それが特例法の解釈上疑義があるようなときは、その特例法の解釈が誤りであるか、そうでなければ特例法に定められる一般的な行政事件と性質の異なる問題としてか、そのいずれにせよ裁判所による審査を肯定しなければ違憲とされることになるであろう。
二、本件各裁決は、その形式的な面からいつても司法審査に服せしめられなければならないものである。
本件各裁決は、十勝丸、北見丸、日高丸の各船長の職務上の過失及び原告国鉄の運航管理上の過失の存在を認定している。そこに認定せられた過失の概念が法律上のそれであることは多言を要しない。従つて、本件が単なる物理的な事実の問題に関するものでなく、法律的問題に関するものであることは、本件審判の当初から予定せられたところであり、又、審理、裁決を通じて変るところがなかつたのである。
更に本件審理裁決に当つては、独立の権限を有する審判官は公開の口頭弁論において、当事者双方から事実上、法律上の主張と証拠方法を提出させ、証拠調を行い、これらの証拠に基ずいて、自由な心証によつて事実を認定し、理由を附した裁決によつて事実ならびに法律関係につきその結論を示したのである。
従つて本件裁決は、法律上の事件或いは争訟(争訟性乃至事件性は、少くとも海難審判法が擬制するところである)について、行政機関たる高等海難審判庁が訴訟に準ずる手続に従つて行つた判定である。この場合の高等海難審判庁の機能はいわゆる準司法的機能であり、その判定たる裁決は、学者のいゆる審決であつて、正に前記憲法の規定によつて、前審としてのみ認められる行政機関の行う裁判に当るものといわなければならない。そうだとすれば憲法上、これに対する司法審査の途の開かれる必要のあることは明らかで、海難審判法第五十三条は正にこの憲法の要請に応えたものと解すべきである。従つて、本件裁決の手続に形式上乃至実質的に当事者として参加し、その審決を受けた原告らが、右海難審判法の規定によつて本訴を提起しうるものであることは当然であるといわなければならない。
三、本件各裁決は実質的な面からも司法審査に服せしめられなければならない。
けだし本件各裁決によつて、関係人たる原告らの蒙る不利益は法律上の不利益であつて、単なる事実上の不利益に止まるものではないことは、つとに貴庁判例(昭和二七年一二月一六日第一特別部判決)によつて認められているところであり、従つて本件裁決を適法とする高等海難審判庁とこれを違法とする原告らその不利益を蒙るものとの間には正しく前記裁判所法にいう法律上の争訟が存在するからである。前記海難審判法第五十三条の規定は、このような争訟に関する訴をも含めて規定しているものと解せられる(右貴庁判例も同趣旨と認められる)ので、右規定に基ずく本訴の適法であることは明白である。
四、被告は、本件各裁決は特例法いわゆる行政庁の処分ではなく、従つて抗告訴訟の対象とならないと主張せられ、そのいわゆる行政庁の処分を目して「公権力の主体としての国又は公共団体の機関である行政庁がその権力に服従すべき者に対して行う公法上の行為であつて、これによつてその権利義務に法律上の効果を及ぼすもの」とせられる。なるほど一般の、行政庁の処分についてはこのような概念規定がそのまま適合するであろう。しかしながら、本件裁決は前述のように審決であつて、上命下従の権力関係というよりも、公平な権威ある第三者としての判定行為であり評価行為である。その本質は正に「裁判」であつて、一般の行政処分とは甚だしくその趣を異にしている。従つて、特例法の解釈においても前述した憲法上の要請に応ずるためには、行政機関たる高等海難審判庁の行つた判定行為(本件においては事実関係又は権利関係の確認、又は公証行為、すなわち事実又は法律関係を公の権威をもつて確定し、爾後これを自由に変更しえない効力を生ずる行為である)として、形式上一の行政処分(実質上は裁判行為)たる性質を有し抗告訴訟(実質的には上訴に等しく、そのため第一審は省略せられている)の対象となるものと解するか、そうでなければ特例法とは別に海難審判法がその裁判たる実質に着目して特に定めるところによつて、訴訟の対象となるものとする解釈を採るかのいずれかによらざるをえないのである。(この立場では海難審判法が訴を提起しうる場合を何ら限定せず、又、訴提起権者をも限定しなかつたのは前記憲法上の要請に応ずる当然の措置であり、後に立法せられた特例法の当然の適用を予定するものではないということになる)いずれにしても全く裁判と異ならない訴訟的手続によつて権威ある独立の行政機関(独立委員会)たる高等海難審判庁が具体的な海難事件について法律的な評価を下し、当該事案における具体的な法律関係を宣明した場合に、これによつて不利益を受ける審判当事者その他の関係人が、行政事件訴訟特例法という手続法規の一片の解釈によつて、裁判所の審査を受ける機会を永久に失い、右裁決の結果を確定したものとして甘受する外はないというのでは、正に国民をして裁判所による裁判を受ける権利を失わせることとなること一点の疑いを容れない。要するに原告らは本件において貴重な前記貴庁判例と相反する結論をとるべき何らの理由をも発見することができないのである。
以上
(別紙)
昭和三十五年六月二十九日付被告準備書面
被告は原告等の昭和三十五年六月二十九日付準備書面に対し次のとおり陳述する。
一、原告等は第一項において、憲法三二条、七六条二項及び裁判所法三条の規定を挙げて、「法律上の争訟乃至事件が存する場合にはすべて裁判所による裁判を受けることが認められるのであり、行政機関が、これらの争訟につき「裁判」を行うことは許されるが、それは前審としてのみ認められるのであつて、必ずこれに対する裁判所による審査の途が開かれていなければならないのである。原告らは、後述のように本件各裁決はその形式上からも実質上からも、右に定められた裁判所の裁判を受けることができなければならないものと考える。被告らは専ら行政事件訴訟特例法を根拠として本件各裁決に対する司法審査を否定しようとせられる。しかし、特例法は前記裁判権に関する憲法及び裁判所法の実体的規定の主として手続についての特例を定めた法律であることはいうまでもない。従つて、かような手続法の解釈のみから論ぜられるのは、いささか本末顧倒の論たるそしりを免れないであろう。」と主張される。
我が国の憲法が採用している三権分立の建前の下において、裁判所が一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するものであり、従つて行政機関が法律上の争訟について裁判しても、それはただ前審として裁判するだけであつて、終審としてはそれに対する裁判所の審査の途が必ず開かれていなければならないと解すべきことについては原告等主張のとおりであり、被告もその点については別に異論はないが、しかしそれは法律上の争訟の場合についてのみいいうることであつて、たとえ何らかの紛争があり主張の対立があつてもそれが法律上の争訟と認められない場合にはその論は当てはまらない。従つて、問題は本件訴の対象が法律上認められるかどうかということである。ところで行政訴訟においては、当該紛争が法律上の争訟であるかどうかは、先ず、その訴訟の対象となつている行政庁の行為がそれによつて何人かの権利義務に何らかの法律上の効果を及ぼすべき性質のものかどうかによつて決まるものといわなければならない。けだし、行政庁の行為があつても、それによつて何人の権利義務にも何等の法的効果を及ぼさない場合には、裁判所が法規を適用して解決すべき紛争、すなわち法律上の争訟が存するといいえないからである。特例法にいわゆる行政庁の処分もそういう法律上の争訟の対象となるべき処分の意味であつて、被告が答弁書において本件各裁決は特例法にいわゆる処分に当らないと主張したのは、本件各裁決がそういう法律上の争訟の対象となるべき行政処分ではないという趣旨である。従つて被告は憲法、裁判所法の規定とは無関係に特例法を解釈し、それに基づいて本件各裁判に対する司法審査を否定しようとするものではなくむしろ憲法、裁判所法の規定からして特例法を解釈し、それに基づいて本件各裁決が司法審査の対象にならないことを主張しているのである。しかして、本件各裁決によつては原告等の権利義務に法律上何等かの効果も及ぼさないことは答弁書において述べたとおりであり、従つて、本件各裁決の取消を求める訴は法律上の争訟には該当しないのであるから、本件各裁決について司法審査を否定したからといつて、それをもつて違憲なりとすることはできない。
二、原告等は第二項において、「本件各裁決は十勝丸、日高丸、北見丸の各船長の職務上の過失及び原告国鉄の運航管理上の過失の存在を認定している。そこに認定せられた過失の概念が法律上のそれであることは多言を要しない。従つて、本件が単なる物理的な事実の問題に関するものでなく、法律的問題に関するものであることは、本件審判の当初から予定せられたところであり、又、審理、裁決を通じて変るところがなかつたのである。更に本件審理裁決に当つては、独立の権限を有する審判官は公開の口頭弁論において、当事者双方から事実上、法律上の主張と証拠方法を提出させ、証拠調を行い、これらの証拠に基ずいて、自由な心証によつつて事実を認定し、理由を附した裁決によつて事実ならびに法律関係につきその結論を示したのである。従つて本件裁決は、法律上の事件或いは争訟(争訟性乃至事件性は、少くとも海難審判法が疑制するところである)について、行政機関たる高等海難審判庁が訴訟に準ずる手続に従つて行つた判定である。この場合の高等海難審判庁の機能はいわゆる審決であつて、正に前記憲法の規定によつて、前審としてのみ認められる行政機関の行う裁判に当るものといわなければならない。そうだとすれば憲法上、これに対する司法審査の途の開かれることは明らかで、海難審判法第五十三条は正にこの憲法の要請に応えたものと解すべきである。」と主張される。
原告等のいわゆる法律上の概念とは何を意味するか必らずしも明らかではないが、それはさておき、法四条二項にいう海技従事者等の「職務上の故意又は過失」の場合であつてもその「職務上の故意又は過失」は海技従事者等に対して懲戒処分をなすための一つの法律要件をなすにすぎず、従つてそれが判断されただけでは単に一つの法律要件事実の判断がなされたにとどまり、その判断によつては何等の法的効果を生ずるものではなく、その判断の結果海技従事者等に対し懲戒裁決がなされた場合に初めて懲戒という法的効果が発生するにすぎない。従つて懲戒裁決がなされて初めて行政訴訟の対象たる行政処分がなされたことになるのであるが、法三条一号の「人の故意又は過失」の場合(本件の場合はこれに当る)においては、その判断はそれ自体としてこれにより何等の法的効果を生ずるものでないことは前記の場合と同様であるのみならず、この場合にはさらに右と異り一定の法的効果を発生させるための一つの法律要件にすら該当しないのであるから、その判断が行政訴訟の対象たりえないことは一層明白である。原告等は過失の概念を法律上の概念であるとしてそのことから本件は単なる物理的な事実の問題でなく法律的問題に関すものであるとされる。もとより過失の有無は注意義務を前堤としその判断は単純な事実の認定と異り複雑困難な場合の多いことは否定しえないが、過失そのものは一つの法律要件たりうるにすぎないものであつてそれは他の一般の法律要件事実と何等異るところはないのである。従つて過失の有無についての判断は単純な事実の有無についての判断と同様にこれに何等かの法的効果の伴わない限りその判断行為が法律上の争訟の対象となるということにはならない。原告等はさらにまたその審理裁決に当つては、訴訟に準ずる手続に従つて審理しその裁決において事実並びに法律関係についてその結論を示したのであるから、それは高等海難審判庁が法律上の争訟について前審として裁判したものに外ならないと断定されるのであるが、公の機関による判断だからといつてその判断の対象いかんにかかわらず、総て法律上の争訟たりうるものではなく、このことはその判断のため審理手続の精疎いかんにより左右されるものではない。公的機関による判断でもそれが法律上の争訟たりうるためにはあくまでそれに何等かの法的効果が伴わなければならず、そうでない場合にこれを訴訟の対象とすることは法律的に無意味なことに帰着するわけである。従つて本件裁決において過失を認定したからといつて、それによつては何等の法的効果も生じない以上、それは法律上の争訟たる性格をもたないことは明らかであり、従つてたとえ本件各裁判が高等海難審判庁によつて訴訟に準ずる手続に従つてなされた判定であるとしても、本件各裁決が憲法にいうところの行政機関が前審として行う裁判に当らないことはいうまでもない。そうだとすれば憲法上これに対する司法審査の途が開かれる必要のないことも明らかであるといわなければならない。また法五三条は、地方海難審判庁の裁決に対しては直接出訴することを認めず、高等海難審判庁の裁決に対してのみ訴訟を提起することを認めると同時に、その訴訟の管轄裁判所と出訴期間を定めたものであつて、それはただ特例法の抗告訴訟についてその点における特則を定めたにすぎないものであり、その訴訟は特例法にいう抗告訴訟に外ならないのである。従つて同条は高等海難審判庁の裁決であれば、それがたとえ勧告裁決や原因解明裁決のように行政処分の性質をもたないものであつても、これに対し出訴することを認めたものではないのである。それというのは、かような裁決は何人にもこれによつて法律的不利益をもたらす性質のものではないのであるから、これに対し出訴の途を開く必然的要請は認められないし、またそれにもかかわらず特例法の予定する訴訟以外に特にこの場合出訴の途を開いたものと法五三条の規定を解する条文上の根拠は見当らないからである。従つて、原告等が争訟性を海難審判法が疑制しているとされる主張も当らないというべきである。
なお、法は地方海難審判庁の裁決に対して高等海難審判庁に第二審の請求をすることのできる者は理事官以外は受審人及びその選任した補佐人に限つており、第一審の勧告裁決や原因解明裁決について、事実上の利害関係を有する指定海難関係人や第三者であつても、これに固有の第二審請求権を認めず、しかも法五三条四項が第一審の裁決に対する訴は許されないとしているのであるから、これらの者は第一審の裁決に対し出訴する途が認められておらないのであるが、もし法五三条が高等海難審判庁の裁決について、それが勧告裁決や原因解明裁決であつても、それに対して出訴することを認めたものとすれば、同性質の裁決に対し取扱を異にすることになり、法制度としてきわめて首尾一貫しない結果を来すことになる。このことからしても法五三条が特例法とは別に特に争訟の提起を認めたものとしえないことは明らかである。
三、原告等は、第三項において、本件各裁決は実質的な面からも司法審査に服せしめられなければならないとして、その理由として、「本件各裁決によつて、関係人たる原告らの蒙る不利益は法律上の不利益であつて、単なる事実上の不利直に止まるものでないことは、つとに貴庁判例(昭和二七年一二月一六日第一特別部判決)によつて認められているところであり、従つて本件裁決を適法とする高等海難審判庁とこれを違法とする原告らその不利益を蒙るものとの間には正しく前記裁判所法にいう法律上の争訟が存在するからである。」と主張される。
原告等が本件各裁決によつていかなる不利益を被るとされるのか明らかでないが、それはとも角として、原告等の挙げておられる右の判例によれば、海難審判庁が海難が人の過失に基因すると認定した場合、これによつて関係者の被る不利益はたとえ裁決に既判力がないからといつて、単なる事実上の不利益と断定するには余りに重大であり、これを法律上の不利益と認めるのが相当であるというのであるが、行政訴訟の対象たりうべき行政行為は、その行為によつてある法律的効果が生ずるものでなければならないのであつて、その法律的効果には単に事実の不利益を生ずるにすぎないものはこれに当らないし、また事実的不利益の大小によつてそれが右にいう法的効果となる筋合のものでもないことも多くいうまでもないところと思う。そうだとすれば原告等と海難審判庁との間には本件各裁決をめぐつて何等法律上の争訟は存在しないのであるから、本件各裁決が司法審査に服せしめられなければならないとすることもできないと考える。